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広島高等裁判所松江支部 昭和35年(ネ)62号 判決

控訴人 高田有友 外一名

被控訴人 国 外一名

国代理人 森川憲明 外三名

主文

被控訴人国に対する本件控訴を棄却する。

原判決中被控訴人古藤平二郎勝訴の部分を左のとおり変更する。

控訴人等は連帯して被控訴人古藤に対し金四十六万一千五百二円およびこれに対する昭和三十年六月四日より完済まで年五分の金員を支払え。

被控訴人古藤のその余の請求を棄却する。

被控訴人古藤の本件附帯控訴を棄却する。

訴訟費用中、控訴人等と被控訴人国との間に生じた分は第一、二審とも控訴人等の連帯負担とし、控訴人等と被控訴人古藤との間に生じた分は附帯控訴費用を被控訴人古藤の負担とし、その余の訴訟費用を第一、二審を通じ三分しその一を被控訴人古藤の負担としその二を控訴人等の連帯負担とする。

事実

控訴人等代理人は「原判決中控訴人等敗訴の部分を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする」との判決を求め、被控訴人古藤および国の各代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人古藤の代理人は附帯控訴として「原判決中被控訴人古藤(附帯控訴人古藤以下単に被控訴人古藤という)敗訴の部分を取消す。控訴人等(附帯被控訴人等以下単に控訴人等という)は連帯して被控訴人古藤に対し金四十七万七千六百円およびこれに対する昭和三十二年五月二十六日より完済まで年五分の金員を支払え。附帯控訴費用は控訴人等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、控訴人等代理人は「本件附帯控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用および認否は被控訴人古藤の代理人において原判決事実摘示中被控訴人古藤の陳述の部の三の(一)の(2) を「(2) 被控訴人古藤は本件事故当時株式会社日本海新聞社西部総局長および米子支社長で同時に監査役を兼ねていたものであつて、同社から給料一カ月金一万五千八百十円、賞与年間金五千円および広告手数料一カ月平均金七千二百九十四円(広告手数料は広告料の一割五分でそのうち五分が支社長の収入となる)を得ていたが、本件傷害に基く疾患のため勤務不能となり、昭和三十一年四月より一年間休職の取扱を受けた後退職せざるを得なくなり、次のような得べかりし利益を失つた。

(イ)  昭和三十一年四月より昭和三十二年三月までの休職期間中右給料の半額の支給を受けたにとゞまるため、その間の得べかりし給料および賞与合計金九万四千八百六十円

(ロ)  昭和三十二年四月より昭和三十五年九月まで三年六月分の給料および賞与合計金六十八万一干四百九十二円

(ハ)  昭和三十年七月より昭和三十五年九月までの広告手数料合計金四十五万二千二百二十八円

よつて財産上の損害として(1) の医療費、(2) の(イ)ないし(ハ)の各得べかりし利益の順に合計金九十五万八千八百円を主張する。

なお株式会社日本海新聞社では使用人は五十五歳で停年となるが、監査役、取締役等を兼ねると停年制を適用しない定めであつて、支社長等は老練者を当てる必要があるため従来停年制の適用を避けるべく監査役、取締役等を兼ねしめる取扱であり、被控訴人古藤(明治三十一年二月十五日生)も同様の趣旨で監査役になつたもので、本件事故がなかつたならば少くとも昭和三十五年九月まで引続き勤務し得たはずである。また被控訴人古藤は昭和三十三年五月二十八日同社から退職手当金十万三干九百九十七円の支給を受けたが、これは本件事故がなくても退職時に得べきものであるから、本件損害の額より差引くべきものではない。」と改め、同三の(二)の精神上の損害金六十五万八千八百円を金三十五万八千八百円と改め、

控訴人等代理人において「監査役の法定任期は一年以内であるから被控訴人古藤が昭和三十五年九月まで株式会社日本海新聞社の監査役の地位に止るためには相当回数連続して株主総会で監査役に選任される要があるが、これは全く不確実な事実であつてかかる事実を前提として得べかりし利益を算定するのは不当である、また広告料収入も経済界の変動、文化程度の上昇等により一定不変ではないのみならず、その収入は同社米子支社の収入であつて被控訴人古藤の得べきものではないから、広告手数料の喪失についての主張もまた失当である。さらに被控訴人古藤はその主張のような退職金を得ているから、これを本件の損害から控除すべきである。

被控訴人古藤は原審において財産上の損害金六十五万八千八百円を請求していたところ昭和三十五年六月十七日の控訴審第一回口頭弁論期日において金九十五万八千八百円に増額するに至つたが、右差額金三十万円のうち同日より三年以上前に生じた損害の賠償請求権は消滅時効が完成したから、その部分についての請求は失当である。」と述べ、

立証として被控訴人古藤の代理人において甲第二十八号証の一ないし六を提出し、当審における証人米田忠治の証言および、被控訴人古藤本人訊問の結果を援用し、被控訴人古藤および国各代理人において乙第四号証の一、二は不知、第五号証、第六号証の一、二、第七ないし十二号証の成立を認め、控訴人等代理人において、乙第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一、二、第七ないし十二号証を提出し、当審証人中村一幸、宮永幸雄、岩吉元久、木村輝光、田中顕一郎、木島公之の各証言および控訴人両名本人訊問の結果を採用し甲第二十八号証の一ないし六、丙第七号証の一、二の成立を認めたほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一、控訴人晴正が昭和三十年六月三日自動三輪車(鳥六-一八、〇三七号)を運転して米子駅前通りを米子市加茂町方面より同駅方面に向け進行中同日午前十一時五十分頃同市明治町において反対方向から来た被控訴人古藤に衝突し、傷害を負わせたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第五号証、第二十三号証および原審における被控訴人古藤本人訊問の結果によると、右傷害は頭蓋骨々折、脳振盪、顔部打撲擦過症、左第六、七肋骨々折兼両手背部擦過創であることが認められる。

そして成立に争のない甲第四号証、第七号証第十ないし十五号証、第十七号証および原審における控訴人古藤、被控訴人晴正各本人訊問の結果ならびに検証の結果を綜合すると、右駅前通りは国鉄米子駅正面から北西に一直線に走る幅員約十四・七米(車道幅員約九・七米)の道路で本件事故現場は右道路上の同駅から約百米の位置にあり、附近の北東側に幅員六米余の万能町通りがほぼ直角に分岐して三叉路をなし、通行人および自動車の交通が頻繁で、諸車の速度は時速二十粁に制限されているが、右三又路には信号機等は設けられていないこと、被控訴人古藤は自転車を曳いて右駅前通りを西側から万能町通りに向つて斜めに横断していたこと、控訴人晴正は駅前通りを時速約三十五粁で同駅方面に向け進行し、右三又路の手前で警笛を鳴らし万能町方面からの通行人等の有無を確めた後前方を注視したところ、前方僅か十米位の道路のほぼ中央に被控訴人古藤が横断進行しているのを認め、あわててハンドルを右に切ると共にブレーキをかけたが及ばず、自動車の前部を被控訴人古藤に衝突させたことが認められ、甲第十七号証、原審における控訴人晴正、被控訴人古藤各本人訊問の結果中右の認定に反する部分はにわかに措信しがたく、他にこの認定をくつがえすに足る証拠はない。およそ自動車の運転者は常に法令に定められた制限内の速度で運行し且つ前方を注視して事故の発生を未然に防止すべき義務があるものであるところ、控訴人晴正が右注意義務を怠つたため右事故が発生したものであることは右認定の事実により明らかであるから、本件事故は控訴人晴正の運転上の過失に基因するものといわなければならない。したがつて控訴人晴正は本件事故により被控訴人古藤に与えた損害を賠償すべき義務がある。

二、尤も交通が頻繁で信号機等の設備のない三又路附近を横断しようとする者は、十分往来の諸車に注意して危険のないことを確認してから横断すべく、危険のあるときは一時避譲して自動車の通過を待つ等事故の発生を防止するに必要な措置をとるべきことは当然であつて、右認定の事実によれば、被控訴人古藤において警笛が鳴らされているのに漫然横断しようとした不注意が控訴人晴正の過失と競合して本件事故を発生せしめたというべきであるから、被控訴人古藤にも過失があるものといわざるを得ない。しかし控訴人等主張のように被控訴人古藤が当時酒気をおびていたことはこれを認めるに足りる資料がない。

三、次に控訴人有友の責任について判断する。成立に争のない甲第九、十、十三、二十、二十七号証、第二十八号証の五、六、原審証人阪本正作、宮近直正、飯島房夫の各証言により真正に成立したと認める丙第五号証の一、二、第六号証の一ないし三および原審証人阪本正作、宮近直正、飯島房夫、生田夏雄、当審証人木対輝光の各証言に弁論の全趣旨を考え併せると、控訴人有友は田畑約二町歩を耕作して農業を営むものであるが、本件自家用自動三輪車を所有し、これを用いて自己の農業用としてあるいわ他から依頼されて、物品運搬の業務を行つていたこと、控訴人有友は右運搬事業のため三男である控訴人晴正に運搬契約締結、運搬料金受領等の権限を与えていたもので、控訴人晴正は控訴人有友の指揮監督の下にその意思に従つて右運搬事業に従事していたこと、本件事故当時控訴人晴正は右権限に基き生田夏雄と土砂運搬の契約を結びその運搬に従事していたものであることが認められ、乙第七、八、九、十一号証、原審証人今中博、高田あや子、稲田一明、藤森徳蔵、当審証人宮永幸雄の各証言、原審および当審における控訴人両名本人訊問の結果中右認定に反する部分は措信しがたく他に右認定を左右するに足る証拠はない。そうすると控訴人晴正は控訴人有友の運送事業の執行につき本件事故を生ぜしめたものというべきであり、控訴人有友は控訴人晴正の使用者として、控訴人晴正がその過失によつて惹起した本件事故による損害を控訴人晴正と連帯して賠償すべき義務がある。

四、そこで損害額について判断する。

(1)  まず被控訴人古藤が本件衝突後ただちに鳥取大学医学部附属病院に入院し治療を受けたことは当事者間に争がない。そして前記甲第二十三号証、成立に争のない丙第一号証、第二号証の一ないし七および原審における被控訴人古藤本人訊問の結果によれば、被控訴人古藤は昭和三十年七月二十八日まで同病院に入院し、その後自宅で療養したものであつて、同年十二月二十三日までに治療費入院費等金四万九干七百九十六円の支払義務を同病院に負担したことが認められる。しかし被控訴人等主張のその余の治療費薬餌料等の出費についてはこれを認めるに足る証拠がない。

つぎに被控訴人古藤が本件事故当時株式会社日本海新聞社の西部総局長および米子支社長で同社監査役を兼ねていたことは当事者間に争がない。そして前記甲第十七号証、原審における被控訴人古藤本人訊問の結果により真正に成立したと認める甲第二十二、二十四号証、成立に争のない甲第二十六号証、原審証人織田牧、山根虎雄、当審証人木島公之の各証言、原審および当審における被控訴人古藤本人訊問の結果によれば、被控訴人古藤は事故当時監査役としての報酬は支給されず、使用人として給料一カ月金一万五千八百十円、年末手当金五千円を得ていたが、本件負傷のため同社の勤務を休み、昭和三十一年四月より昭和三十二年三月まで一年間休職の取扱いを受け、その間給料一カ月金七千円を得たのみであること、被控訴人古藤は同年三月前記負傷による稼動能力のいちじるしい減退のため同社監査役を辞任し同時に同社を退職するのやむなきに至つたこと、株式会社日本海新聞社の使用人は満五十五歳をもつて退職する定めであるが、使用人が取締役、監査役等の役員を兼ねるときは右停年制の適用がない関係上、従来有能な使用人が右年令に近づくと同社役員を兼任させて引続き使用人としての業務に従事させる取扱が行われており、被控訴人古藤は明治三十一年二月十五日生れであつて昭和二十七年頃右取扱に従い監査役に選任され前記のように使用人として執務していたものであることが認められる。

ところで控訴人等は、株式会社の監査役は使用人を兼ねることができず且つ監査役は株主総会で選任されその任期は一年を超えることができないから、被控訴人古藤が昭和三十二年四月以降も連続して監査役に選任され、使用人としての給与を受け得たかどうかわからないと主張するから考えるに監査役が使用人を兼ね得ないことは商法の明定するところであるけれども、株式会社日本海新聞社においては使用人の停年制を回避するため事実上使用人に監査役を兼ねさせていたことは前記のとおりであつて、かかることが少くとも昭和三十六年四月頃まで行われたことは当審証人木島公之の証言により明らかであり、また監査役は株主総会において選任されるものであつて本件事故がなかつた場合被控訴人古藤が昭和三十二年四月以降監査役に選任されたかどうかは何人も断定し得ないことはいうまでもないけれども、原審証人織田牧、当審証人木島公之の各証言、原審および当審における被控訴人古藤本人尋問の結果によれば、被控訴人古藤はその能力、経験からして本件事故がなかつたならば昭和三十二年四月以降も少くとも昭和三十五年九月まで同社の監査役ないし取締役に選任され、引続き使用人としての業務に従事し、前記の給与を得たであろうことが認められる。そうすると被控訴人古藤は昭和三十一年四月より昭和三十二年三月までの間毎月給料の残額金八千八百十円と年末手当金五千円を、同年四月より昭和三十五年九月までの間毎月給料金一万五千八百十円と年末手当三回各金五千円を得ることができたはずであつたにも拘らず、本件事故のためこれを得ることができなくなつたのであるから、右と同額の損失を受けたものというべきである。

さらに原審における被控訴人古藤本人訊問の結果により真正に成立したと認める甲第二十五号証、原審証人織田牧、山根虎雄の各証言、原審および当審における被控訴人古藤本人訊問の結果によると、本件事故当時株式会社日本海新聞社においては支社の取扱つた広告につきその注文をとつた使用人と支社長とに手数料が支給される扱いであつて、当時被控訴人古藤は一カ月平均金七千二百九十四円の広告手数料を得ていたが、本件事故後執務しないため右手数料を得られなかつたことが認められる。しかし当審証人木島公之の証言によると、昭和三十二年四月以降右手数料はすべて支社の経費に当てられることに改められたことが認められる。そうすると特段の事情のない限り被控訴人古藤は昭和三十年七月より昭和三十二年三月まで毎月金七千二百九十四円の広告手数料を得たはずであつて、本件事故のためこの得べかりし利益を失つたものといわなければならない。

そうだとすると結局被控訴人古藤は(イ)昭和三十年七月より昭和三十一年三月まで毎月金七千二百九十四円、(ロ)同年四月より昭和三十二年三月まで毎月金一万六千百四円、(ハ)同年四月より昭和三十五年九月まで毎月金一万五千八百十円および(ニ)昭和三十一年以降昭和三十四年まで毎月末金五千円の得べかりし利益を失つたわけであり、本件事故当時一時に右得べかりし利益を請求するには、(イ)ないし(ハ)については毎月毎に、(一)については毎年毎にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すべく、これを計算すると(その方法につき法曹時報第十一巻第二号三十七頁以下参照)金八十三万七百五十六円となる。これに前記医療費を合算すると被控訴人古藤の財産上の損害額は金八十八万五百五十二円となる。

控訴人等は、被控訴人古藤は監査役の使用人兼任禁止の規定に違反して株式会社日本海新聞社において監査役と西部総局長および米子支社長を兼任し、給料等の収入を得ていたもので、その収入は正当な業務に基くものではないから、これを基礎にして得べかりし利益を算出するのは不当であると主張するが、監査役が使用人を兼任することの違法であることは前記のとおりであるけれども、だからといつて使用人として得る給料等が不法なものであるとはいえないから、被控訴人古藤の使用人としての給料等を基礎として損害賠償額を算定することは何ら不当ではなく、控訴人等の右主張は採用することができない。

さらに控訴人等は、被控訴人古藤は右新聞社から退職金を得たからこれを損害額より控除すべきであると主張するが、退職金は本件事故がなくても退職時に当然得べきものである(そればかりか本件事故がなくさらに長期に勤続したならば、より多額の退職金を得たであろう)から、これを損害額より控除すべきものではないというべきであり、控訴人等の右主張もまた採用しがたい。しかし被控訴人古藤にも本件事故発生につき過失のあつたことは前示のとおりであるから、この過失を斟酌すると、控訴人等の賠償すべき財産上の損害額は金六十五万円を相当と認める。

(2)  原審証人井田享の証言、原審および当審における被控訴人古藤本人訊問の結果によれば、被控訴人古藤は本件事故により頻死の重傷を受け、前示のように五十余日入院し、その後も自宅で療養につとめたけれども、今なお時に頭痛、目眩、耳鳴り等に悩まされ、また被控訴人古藤は二十余年間新聞事業に従事し、前記の地位についたが本件事故のためその職を失つたもので、被控訴人古藤の蒙つた心身の苦痛はかなり大きいことが認められ、これらの事実に控訴人晴正および被控訴人古藤の各過失の程度、その他諸般の事情を参酌すると、被控訴人等の賠償すべき慰藉料額は金十五万円を相当と認める。

五、控訴人等は労働者災害補償保険法(以下労災法と略称)は労働者の災害によつて蒙つた財産上および精神上の損害全部を補償するものであつて、被控訴人古藤は同法による補償金三十三万八千四百九十八円の支給を受けたから、控訴人等被控訴人古藤に対する損害賠償義務は一切免責されたと主張するから考えるに、被控訴人古藤が右補償金の支給を受けたことは被控訴人古藤の自認するところであり、したがつて控訴人等は被控訴人古藤に対し右補償金の範囲で損害賠償の義務を免れるというべきであるけれども、これを超える部分についてまでその義務を免れるものとは解しがたい。というのは労災法による災害補償額は同法の定める基準に従つて算定されるわけであつて災害により現実に生じた損害額と必ずしも一致するものではなく、その補償額が不法行為に基く損害賠償金の額に達しない場合前者の給付を受けることにより後者の請求権をすべて失ういわれはないからである。だから控訴人等右主張は採用できない。

次に控訴人等は被控訴人古藤が昭和三十年九月頃その代理人多田紀を介し損害賠償請求金を金二十八万円と定め、その余の請求権を抛棄したと主張するから、この点について考えてみよう。

成立に争のない乙第一号証の一、二、原審証人今中博の証言および原審における控訴人晴正本人訊問の結果によれば、昭和三十年九月頃被控訴人古藤の代理人弁護士多田紀は控訴人晴正に対し「本件事故の損害賠償金は今ただちに支払えば金二十八万円位にするがどうか。」と申し入れたけれども、控訴人晴正はこれに応ぜず、右示談の交渉は結局不成立に終つたことが認められ、被控訴人古藤において金二十八万円を超える損害賠償請求権を抛棄したと認めるべき証拠はない。そうすると控訴人等の右主張の理由のないことは明らかである。さらに被控訴人等の消滅時効の抗弁について考えるに、被控訴人古藤は原審において財産上の損害金六十五万八干八百円を蒙つたと主張してこれに慰藉料金六十五万八千八百円を加えた上労災法に基く右補償金を控除した残額金九十七万九千百二円を請求していたところ、本件事故より三年以上を経過した昭和三十五年六月十七日当審第一回口頭弁論期日において財産上の損害額を金九十五万八千八百円と改めるに至つたことは記録上明らかであるが、当裁判所の認容する前記財産上の損害賠償金は原審において被控訴人古藤が主張し請求した財産上の損害賠償金の範囲内であるから、控訴人等主張の消滅時効はこれを問題とするに足りないものといわなければならない。したがつて右抗弁は採用しない。

六、されば控訴人等は連帯して被控訴人古藤に対し損害賠償金四十六万一千五百二円および本件不法行為の翌日たる昭和三十年六月四日より完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

七、成立に争のない丙第一号証、第二号証の一ないし七、第四号証、第八号証の一ないし四、原審における被控訴人古藤本人訊問の結果により真正に成立したと認める丙第三号証、原審における被控訴人古藤本人訊問の結果によると、本件事故発生当時被控訴人国と株式会社日本海新聞社との間に同社の事業につき労災法による保険関係が成立していたこと、被控訴人古藤は同社発行の日本海新聞に掲載すべき記事の原稿作成方を催促するため渡辺二穂方を訪問する途上本件事故に遭つたもので本件傷害は被控訴人古藤の業務上の事由による負傷であること、被控訴人国は被控訴人古藤の医療補償として昭和三十一年五月七日までに鳥取大学医学部附属病院に対し前記入院料、治療費等金四万九千七百九十六円を支払い且つ同月二十二日被控訴人古藤に障害補償費金二十八万八千七百二円を支給し、結局被控訴人国は被控訴人古藤に対し金三十三万八千四百九十八円の災害補償をしたことが認められる。

八、控訴人等は、被控訴人古藤は本件事故当時同社西部総局長および米子支社長であるとともに監査役を兼ねていたから、労災法にいう労働者に該当しないもので災害補償を受ける権利を有せず、また本件事故は被控訴人古藤の重大な過失によるものであるから、災害補償請求権は全部または一部につき発生しないわけであり、したがつて被控訴人国が前記のように災害補償をしても、被控訴人古藤の控訴人等に対する損害賠償請求権を取得しないと主張するので、この点について考えてみよう。まず、被控訴人古藤が本件事故当時同社西部総局長兼米子支社長として賃金を得て労働に服していたことは前記のとおりであつて、かように監査役が賃金を得て取締役の指揮監督のもとに労働に従事している限り労災法にいう労働者と解するのが相当であるから、被控訴人古藤は労災法上の労働者に当るというべきである。また本件事故の発生につき被控訴人古藤にも過失があつたことは前示認定のとおりであるけれども、前記認定の事実によつてはその過失は重大なものとは解しがたく、他に重大な過失があつたことを認めるに足る証拠はない。のみならず労災法第十九条は重大な過失によつて事故を発生させた場合、国において災害補償の全部または一部を支給しないことができるというにとゞまり、その全部を支給した場合重大な過失があるからといつて同法第二十条第一項による求償権の取得を全部または一部制限されるものとは解しがたいから、被控訴人国は右補償金三十三万八千四百九十八円の限度で被控訴人古藤の控訴人等に対する損害賠償請求権を取得したものというべきである。

九、そして被控訴人国が昭和三十三年三月二十二日控訴人等に対し同月末までに右求償金を支払うよう求めたが、控訴人等がこれに応じなかつたことは当事者間に争がない。したがつて控訴人等は連帯して被控訴人国に対し金三十三万八千四百九十八円およびこれに対する昭和三十三年四月一日より完済まで年五分の遅延損害金を支払うべき義務がある。

十、されば被控訴人国の本訴請求はすべて正当であるからこれを認容し、被控訴人古藤の請求は金四十六万一千五百二円およびこれに対する昭和三十年六月四日より完済まで年五分の金員の支払いを求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却しなければならない。しからば原判決中被控訴人古藤の勝訴部分は一部失当であるからこれを変更すべく、被控訴人国に対する控訴および被控訴人古藤の附帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条第九十三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 鳥羽久五郎 羽染徳次 桑原宗朝)

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